3-D映画
二台のキャメラを使って同じ映像を右目用と左目用に二重撮影し、観賞の際に特殊なメガネをかける事によって立体的な映像を楽しむ事が出来る両目の視差を利用したギミック映画。初めての立体映画は、映画の始祖であるフランスのリュミェール兄弟によって1903年に公開される。
50年代に入ると、ハリウッドの映画スタジオはテレビに奪われた観客を取り戻すために「ナチュラル・ビジョン」と銘打ってギミック映画の一つとして売り出す。
3-D映画第一弾の『ブワナの悪魔』や『肉の蝋人形』の成功によって立体映画はブームになるが、厚紙で出来た3-Dグラスをかけることを観客は嫌がり、長時間の観賞は目を痛めたり頭痛の原因となったりした上に、質の悪い3-D映画の乱発によって観客に早々と飽きられ、メジャー・スタジオが3-D映画として制作した『キス・ミー・ケイト』や『ダイヤルMを廻せ!』は3-Dギミック抜きで公開される。
セミ・ドキュメンタリー映画
第二次世界大戦後、イタリアのネオ・リアリスモの影響を受け、ロケーション撮影や即興的な演技を多用してドラマにリアリティとフィクションを密接に絡み合わせた作品を指す。
45年に製作された『Gメン対間諜』の成功によって、セミ・ドキュメンタリー映画は終戦直後のアメリカ映画の一つの風潮となり、48年に公開されたジュールス・ダッシン監督の『裸の町』はニューヨークの市外で撮影を行い、殺人犯を追う刑事たちの葛藤をNYの現実を織り交ぜて描くことによって、スタジオで撮影されたこしらえ物のドラマでは決して表現できないリアルなドラマを作り出す事に成功してセミ・ドキュメンタリー映画は一つの頂点を極める。
しかし、セミ・ドキュメンタリーの定義は曖昧で、芸術運動には盛り上がらなかったが、アメリカン・ニューシネマの到来によってロケーション撮影と過激な暴力やセリフを組み合わせて麻薬組織とはみ出し刑事の対決をリアルに描いた『フレンチ・コネクション』のような新しいタッチのセミ・ドキュメンタリー映画が製作されるようになる。