RKO
ハリウッドの黄金期の5大メジャー・スタジオの中で最も小さいスタジオ、ラジオ・キース・オルフェウムの略称。1921年に独立プロデューサーのロバートソン・コールが、ハリウッド共同墓地から13エーカーを譲り受けて、ロバートソン・コール・プロダクションを設立。やがて会社はフィルム・ブッキング・オフィス(FBO)となり、26年には後に35代合衆国大統領となるジョン・F・ケネディの父親ジョセフ・P・ケネディよって買収される。
トーキーに興味を示すケネディは、映画の音響システム「フォトフォーン」の特許所有者で、ラジオ会社RCA(ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ)の社長デイヴィッド・サーノフと組んでスタジオを合併。キース・アルビー・オルフェウムから700の劇場チェーンを譲り受けて、社名をRKOラジオ・ピクチャーに改める。
古き良きハリウッドの名作を量産するが、創立以来幾度ものオーナー交代による経営危機を脱することは出来ず、興行的な不振も続いて、第二次世界大戦時は「空襲の時は、当り(ヒット作)のないRKOに非難しろ」とジョークのネタにされたほどだった。
48年には億万長者で実業家のハワード・ヒューズが当時としてはハリウッド史上最高の880万ドルでスタジオを買収。大幅な人員削減を行い、過去のRKO作品を売りに出した。52年にヒューズはスタジオを閉鎖し、55年にスタジオをジェネラル・タイヤ・アンド・ラバー社の子会社であるジェネラル・テレラジオ社に売却する。
テレラジオ社は、RKOが製作した740本の映画のテレビ放映権を売却して資金を調達し、破綻したスタジオの復興を試みるが57年に倒産。その後、撮影所はテレビ・ドラマ『ルーシー・ショー』の主演俳優ルシル・ボールとデジー・アルナズの会社デジールー・プロダクションの手に渡った。
アカデミー賞
ハリウッドで行われる映画賞の一つで、映画芸術科学アカデミー(A.M.P.A.S.)が、毎年1回、最も優秀な作品、俳優、監督たちに対してM-G-M社の美術監督セドリック・ギボンズが、フィルムのリールの上に立つ剣を持った騎士のイメージをもとにデザインし、ロサンゼルスの彫刻家ジョージ・スタンリーが作成した「オスカー」と呼ばれる黄金像を与える。
アカデミー賞のノミネーションは各部門のアカデミー会員によって選ばれ、最終的な投票はどの部門に関してもアカデミー会員全員の投票によって行われる。
1回目の授賞式は1928年ロサンゼルスのルーズヴェルト・ホテルで開かれ、カテゴリーはわずか12部門で、授賞式自体は4分半ほどだった。
後年、ラジオやテレビの普及によって一般の人々もリアルタイムで結果を知ることが出来るようになってからは、授賞式はショー形式になり、現在では毎年何千万人もの人々が授賞式をテレビで鑑賞している。
知名度が高いためアカデミー賞の受賞効果は抜群で、作品賞には1000万ドルの価値があるといわれ、作品賞を受賞した映画の興行収入は受賞後は最低でも約15%は伸びるために、映画スタジオは自社の作品をノミネート、または受賞させるために莫大な宣伝費を使って派手な宣伝合戦を繰り広げるようになる。